ある日の保育園の帰り道。
お友達のS君は仮面ライダーのベルトを100個持っている!
自分ももっともっとおもちゃが欲しい…。
そう言って、4歳長男は泣き出した。
Contents
僕は1つしか持っていない
S君はベルト100個、
僕が持っているベルトは煉獄さんのベルトだけ…。
(ちなみに煉獄さんのベルトとは4歳長男の誕生日に買ってあげたこのコスプレの付属品のこと↓)
む、むすこよ…そのベルトをカウントするとは…(笑い転げる5秒前)
あまりに不憫すぎる。(ふき出した)
泣いたって欲しいものは手に入らない
S君の「仮面ライダーベルト100個」というのも、たくさん持っているということを表現したかったのだろう。
自分もたくさん欲しいと。
1つで満足しなさいと言う気はない。
元浪費家なのでたくさん所有する喜びは知っている。
しかし、泣いて欲しいと駄々をこねても欲しいものは手に入らない。
泣いて何でも手に入るらなら、夫は今も生きていた。
涙の量なら負けないぞ。
欲しいものを手にするには考え、行動するしかない
泣いても手に入らないなら、どうやったら欲しいものが手に入ると思う?
と4歳息子に問いかけたところ、まだまだ難しすぎた。
わからない…。
とのこと。
そりゃそうだ。
ママもパパも社会が良くなる仕事をしている!
おもちゃを買うには「お金」が必要。
「お金」を得るには「人の役に立つ」何かをしなくてはいけない。
「人の役に立って」、「社会が良くなる」ような、そんな何かをするしかない。
ママとパパが会社で働いてお金を貰っているのは会社を通じて社会を良くしているからだよ。
それが人の役に立つってことだよ。
お手伝いをしてお駄賃を貰おう
「人の役に立つ」こと、おかあさんの役に立つお仕事してみない?
お母さんのお手伝いをしたらお駄賃をあげよう。
そのお金をたくさん貯めたらおもちゃが買えるかもしれない。
でもおもちゃは高い。
ちょっとやそっとのお手伝いでは手に入らないよ。
それでもやってみる?
という話しをしながら帰宅。
こんな子どもの欲しい欲しい攻撃を回避するため即興で話した、ただの説教染みた話しでしかないのに、4歳のやる気に俄然火をつけた。
出来ることを探す息子
何かお手伝いすることはありませんか!
と「自分ができること」を探すようになった。
私と一緒に洗濯物を畳んだり(これがまた几帳面で上手い!)、
祖父と一緒に洗車してお駄賃を貰ったり、
祖母と一緒にゴミ捨てに行ってボーナスを貰ったり。
そうしてコツコツ10円を積み上げていっている。
しかし、まだまだ仮面ライダーベルト購入への道のりは遠い。
お金の教育
子どもを宥めるために話した「お手伝い=お駄賃」のお金の教育。
専門書も何も読まずに突然始まってしまった家庭のお金の教育。
心の準備も何もない。
夫が生きていたらまだ早いと止められていたかもしれないし、本当にこれで良かったのかわからない。
正しいお金の教育がわからない。
だってこのままじゃ仮面ライダーベルトは当分買えないぞ。
私の両親は別に深く考えないでいいんでないの~といった感じ。(そして浪費家の娘が出来上がった)
とにもかくにも、途中でなあなぁにするのは一番良くない。
我が家は「お手伝いした日=お駄賃1日10円制度」。
これで突っ走るしかない。
コメント