今朝はとても穏やかな気持ちで目覚めることができた。
夫が亡くなってからこういう朝は珍しい。
死と向き合っていない
亡くなった直後は寂しさがまさっていた。そして涙が枯れる頃には幼児2人と生きていく今後への、なんとも言えない不安感が押し寄せてきた。この半年ほどは常に負の感情と共にいた。とくに朝目覚めた瞬間にこの不安感が波のように襲ってくる。30分ほど布団の中でじっとしていないと出られないのだ。
こんな経験は初めてで、うつ病などの精神の病とはこういう感覚のものなのかなと少し頭をよぎっている。
一番辛かった時期は亡くなってから告別式まで
夫が亡くなってから今日までで一番辛かった期間は荼毘に伏すまでだったと思う。動かない肉体に泣いてすがって一番涙がこぼれた期間。
<荼毘(だび)>とは、遺体を焼いて弔うことの仏教用語。火葬することを「荼毘に付す」という。
亡くなってから告別式をやるまでの期間はギリギリまで長く開けたので、突然死だったもののゆっくりと夫の肉体とお別れはできたと思っている。
理不尽な死はもはや仕方なく、自分自身がコントロールできる事柄に対していかに納得できるように対応するかが気持ちを落ち着かせる唯一の方法だと私は考えた。
告別式をとても冷静に対応できたのはこの夫の肉体と一緒にいる期間を自分の意思で長くとったからだと思っている。
告別式の後
告別式の後の期間、会社は2週間もお休みをくれた。同僚たちみんなが仕事を引き受け助けてくれた。
しっかり悲しみに向き合う貴重な2週間を頂いたことで今もポキッと折れずに頑張れているのだと思う。本当に本当に感謝している。
おかげさまで、忌引明けの出社1日目はとても緊張したもののすぐに冷静に仕事に取り組めた。
誰が魔法をかけたのか
忌引き中の2週間、悲しみに向き合うこの期間に私は本当に悲しみに向き合えたのか。
私は魔法にかかった感覚がする。
実はモゾモゾ落ち着かない不安感が押し寄せると、
- 夫は出張に行って今日はいない
- 旅行に出かけて今日はいない
と思って気持ちを落ち着かせやり過ごしている。
火葬で肉体が無くなってしまってから死んだと思えなくなった。だって無いんだもの。
冷静に気持ちが落ち着きはじめたのは悲しみに向き合ったからではなく、この思い込みの魔法にかかっているから。
でもこの魔法をかけたのは誰?私じゃないと思う。夫の魂の力では?
今朝の穏やかな気持ちを考える
不安を和らげる人の存在
今日は気温も高くて天気も良い。
太陽の力で夫の魔法も強まったのでは。
そして、今日は両親が我が家に遊びに来てくれる。自分より大きな存在に会える安心感でいつもの朝のザワザワ時間がなかったような気がする。子どもが大きくなっていくとこの安心感も増えていくのか考えてしまう。
魔法が解ける日
いつか魔法がとけるのかな。
死と向き合う日が来るのかな。
うーんこわいこわい。まだこわい!
夫よ、ずっと魔法使いでいてください!