夕飯時、息子1(4歳)がこんなことを言った。
「パパが死んじゃってママは可哀想だね。パパと仲良しだったね。」
色々と胸にくる言葉だった。
赤ちゃんだったのに誰かが可哀想だねとわかるようになったんだな、という成長に驚く気持ちと、
息子1からみてママが可哀想な人になってしまった、という申し訳ない気持ちと、
夫と仲良く過ごしたシーンがバーッと頭を駆け抜けたりと、
あとたぶん他にもいろいろ。
[st-kaiwa1]仲良しだったパパがいなくなっちゃったから息子1がママと仲良くしてね
と伝えたら、息子1はニカッと笑ってウンウンと頷いた後に変な顔を作り変な踊りを始めた。照れ隠しだろうか。
横で食べていた息子2(2歳)にも
[st-kaiwa1]息子2もママと仲良くしてね
と伝えたらニマーっと笑ってまた食べ始めた。
子ども達がいて良かったなぁと思う。
人は人で救われれる。
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禍福は糾える縄の如し
鬼滅の刃の時透有一郎くんの言葉、
「どれだけ善良に生きていたって神様も仏さまも結局 守ってはくださらないから」
本当にそうなのよ。残念なことにこの世はとっても不条理。たったの3歳と1歳で突然パパを亡くしてしまってとても残念だけれど、頑張って生きていこうね。
たとえ夕飯に嫌いなトマトが出てきても、デザートには美味しいイチゴが待っているように、禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)!
生きていることが重要なのだ。
別の形でそばにいるかも
夫が亡くなってすぐのころ、まだ1歳だった息子2は天井を指して「パパ、パパ」と言っていた。言葉が遅い子でめったに「パパ」も言わなかったのに。思わずバッと天井を見てしまった。
別の日にはカーテンに向かって手を振っていた。もしかしたらユーレイになった夫がベランダからお外に遊びにでかけた瞬間だったのかもしれない。
そして昨晩。
息子2に寝る前「パパはどこにいるかな?」と聞いた。
この質問はよくしている。亡くなったばかりの頃の天井を指差したことが忘れられなくて。でもこの質問の後はだいたい息子2は仏壇のところに行って写真を指差し「ここ!」と言う。
でも昨晩は、天井を指差して「パパ!」と言った。
[st-kaiwa1]パパは上にいるの?
と聞いたら、息子2は「うえいる~」と言った。
もしかしたら息子2は、2歳ながらに私の欲しい答えを考えて言ったのかもしれない。でも3歳までは目に見えないものも見えるというし、本当に夫は部屋の上のほうをぷかぷか浮いているのかもしれない。
もう姿も見えないし声も聞けないけれど、別の形でそばにいてくれるのかもしれない。
息子2が3歳になるまで、しばらくこの質問はしてしまうかも。
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